古武道と私
古武道との出会い、そして
私が今稽古している武術と出会ったのは比較的最近のことです。
30代後半の頃、友人のYくんに誘われたのがきっかけでした。
中学の終わり頃から柔道を始め、そんなには強く無いながらも黒帯を締め、得意技のいくつかも持つようになりました。高校の終わり頃から空手に興味を持ち、某フルコンタクト系の空手を学びました。社会人になってだんだんと時間が無くなり、稽古にも行かれなくなってはいたものの、時間があれば一人稽古をして体を維持していました。また、もともと武器などに関心のあった私は、時代小説や歴史物を読むようになった頃から日本刀に強い関心を持つようになりました。私の持論は「道具を持つなら使い方を知らねばならない」で、日本では所持できない銃器やミリタリーものも好きだった私は、カリフォルニアまでシューティングに行ったほどでした。とはいうものの、いきなり素人が真剣を持つのもどうかと思い、まずは模擬刀を購入しました。次は使い方です。刀の使い方といえば思い浮かぶのは「居合」。居合の稽古を始めました。そのころ、逗子に住むYくんが「うちのそばに古武道の先生がいて、前から気になっていたのだけれど、入門することにしたんだ。一緒にどう?」と言ってきました。しかし、その頃の私は古武道の流派名などあまり知らず、遠慮していましたが、その先生の名前はしっかりと覚えていました。その後、居合刀をグレードアップしようと神田神保町にある(今は無いのですが)武道具やさんに通い、自分好みの刀を(模擬刀ですが)作ることにしました。その時お店に新陰流で使う袋竹刀が置いてあるのに気づき、店主に「これは新陰の竹刀ですよね?」と聞いたところ。「よくご存知ですね」というので、Yくんの師匠の名を告げ、友人がここで新陰を習っている旨を伝えました。すると、「M先生をご存知ならば安くしますので持っていってください」と言われ、新陰の竹刀を買って帰ってしまいました。これが今に繋がるきっかけだったのでしょうか。
その後、Yくんに誘われ、稽古の見学に行く機会がありました。先生から気さくに声を掛けていただき、「なにか武道をやっているの?」と聞かれた私は自分の武道歴を話しました。そして歴史物が好きな私は自分が知っている僅かな知識の流派のことを先生にお聞きしたように思います。すると、「ちょっと待っていなさい」というなり、母屋へ行き、なにやらせんべいか何かが入っていた缶を持って戻ってこられました。そのふたを開けると何本かの巻物が入っていました。「貴方が言うのはこの流派だね」といって、巻物をするすると開き、見せてくださいました。そして、私が疑問に思っていたことに答えてくださり、「武道は技だけでなく、こういった歴史も知るとはまるよ」というようなことを仰いました。私は思わず「先生!来週からお世話になってもよろしいでしょうか?」と言っていました。先生は表情も変えず「うん、いいよ。新陰も稽古するなら竹刀がいるね」と言うので、「実は・・・竹刀は持っているのです。居合刀を作った際に売っていたので思わず買ってしまったのですが・・・」というと、「ほう、どこで?」と問われ、買った店を話すと「ああ、あの竹刀は私が作ってもらうように言ったんだ、竹はうちから持っていったヤツじゃないかな」・・・・・これは運命でした。
その後、先生の近くに住むYくんが演武の帰りなど先生のお伴をしてお送りしていましたが、Yくんは病で亡くなってしまいました。彼の後を受け、私が先生のお伴をする機会が増え、いろいろな先生方と親しくお話しをさせていただいたり、演武帰りに先生をお送りした際に逗子で飲みながら、いろいろな勉強をさせていただきました。へたくそな私が1年ちょっとで初段をいただいたのも不思議なことですが、その前から多摩道場(現・大和道場)のお手伝いをさせていただいたり、東京の稽古に栃木の先生(現宗家)が来られるのに合わせて稽古を付けていただいたり、とても恵まれた稽古環境で、稽古時間も人一倍多かったと思います。
先生が亡くなり、そのままの流れで、事務局を引き受け、流儀内での存在感だけは大きくなりました。多少段位も上がり、後輩の指導などもさせていただいてはいますが、自らの技はなかなか伸びないのが情けないところです。
しかし、私がこの武道と出会ったことは自分の人生に大きく影響をしていると思います。
先代の武藤先生、当代の梶塚先生を始め諸先輩方、各流派の先生方には本当に感謝しています。
武藤先生の晩年、二人で飲んでいるときに、この流派に縁があったことが嬉しいと話したときに、先生が「俺も良い弟子に出会えたと思っているよ」と言ってくださったときの先生の笑顔が忘れられません。
引用です。